東日本大震災現地視察レポート

 東日本大震災の発生から1カ月あまりが経過しました。一時のガソリンなどの物資不足や、計画停電による混乱はようやく落ち着きつつありますが、依然として大きな余震が続くなど未だに正常化には程遠い状況です。また、福島第1原発の事故も、最悪の事態は避けられたようですが、事態はこう着状態に入っているように見受けられ、長期化は避けられそうにありません。
 そのような中、先週、会員企業様であるA社が被災した自社ホテルの状況を確認するため被災地に入られました。この視察に関東本部役員も一部同行させていただき、現地の状況を見てまいりましたので、ご報告したいと思います。

■ 今回の震災はほとんどが津波の被害

 4月4日の夜に我々は仙台に入りました。東北自動車道は、福島県内を中心に道路が仮復旧したばかりのでこぼこした道でしたが、全区間2車線走行可能で、渋滞もなくスムーズに仙台に入ることができました。高速を降りてからの仙台市内は、見た目には至って平穏で、ここに大震災が来たとはとても思えないような静かな普通の状況でした。
 A社は、仙台市近郊に「Bホテル」と「Cホテル」という2件のホテルを所有しておられますが、今回、このうちのBホテルは、津波の被害を免れ、数日前より電気、水道も復旧したとのことでしたので、夜はBホテルに宿泊させていただきました。Bホテルは、内装にも大きな損傷はなく、暖房も完備されていて、きわめて快適に泊ることができました。寝袋で車中泊も想定していた我々は逆にびっくりしてしまいました。
 翌朝、建物を見てみますと、一見普通の光景に見えますが、よく見ると駐車場のアスファルトが割れていたり、建物と駐車場の間に隙間ができていたりと、地震の爪痕が垣間見られました。しかし、配管が一部破損した以外は、営業上大きな支障はないようで、3週間ぶりの営業再開へ向けて準備が着々と進んでおりました。(Bホテルは4月6日に営業を再開しました)
 我々は津波に被災されたCホテルに向かいました。Cホテルは仙台港の近くにあり、海から2~3㎞入ったところに位置しています。海岸から5㎞ぐらいまで津波が来たとのことでしたが、ホテルに近づくにつれ、突然、被災地の様相に辺りが一変いたしました。道路はすでに泥がよけられ片付いていましたが、道路わきには瓦礫やごみが点在しており、当然のことながらコンビニなどもしまっていました。
 Cホテルがあるホテル地区は、一面、浸水したようで、建物の1階はすべてぐちゃぐちゃの状態でした。すでに中にあった物はごみとして外に出されまとめられていました。建物の中に入ってみますと、だいたい1.5mぐらい浸水したようです。客室選別機なども浸水し、フロント、厨房など、使用不可になってしまったものも少なくありません。我々が見たときにはすでに片付けられていましたが、建物の中まで泥が入っており、これを片付けるのは大変だっただろうなあと思いました。

 店長さんに、津波当時のことを伺いましたが、地震があってから津波が来るまでに1時間ぐらいあったそうです。お客様を退出させ、従業員を帰したあと、店長さんも避難されたそうですが、最初は、車で逃げるも渋滞になり、後ろから津波が迫ってきたので走って逃げたとのことでした。まさかここまで津波が来るとは思わなかったと言っていました。
 Cホテルの建物は鉄骨RC構造で、大変強固に造られており、ひびなども入ってなく、幸いにも大きな損傷はありませんでした。しかし、天災後の人災があり、立入禁止期間の間に、窃盗団と思われる集団に襲われ、両替機が8割方壊されてお金が取られていたほか、テレビなども盗まれてしまったとのことでした。店舗に入れるようになってからは、従業員の方が交代で番をしながら店舗を守られていると聞きしました。
 Cホテルは、このように建物が全壊したということではないので、いずれ復旧することがおそらく可能だと思います。しかし、ホテル地区一帯が被災地となってしまっており、正常な生活環境になるにはどれだけの時間がかかるのか、また、元のような営業成績をあげられるのかは全く未知数と言えます。

■石巻へ

 他の被災地の状況を確認するため我々は石巻に向かいました。今回の震災で、津波による大きな被害が出た地域のひとつです。やはり町の被害は海岸に近付けば近付くほどひどく、木造の家屋は完全に流されていました。繰り返しになりますが、ここまで津波が来たという線を境に状況は一変します。津波がこなかったところは、普通の光景なのに対し、津波が来たところは瓦礫とごみと泥で途上国のような風景に変わるのです。この落差は大変、印象的でした。
 石巻にもホテル街があり、行ってみました。小さな川を挟んで両岸に何軒か点在していましたが、どうやらこの川の片側まで津波が来たようで、すでに営業を再開しているホテルがある一方、津波によって泥まみれになったり、瓦礫の山になってしまったホテルが紙一重のところで近接していました。津波にあわれたとホテルさんは、営業再開はかなり難しいのではないかと思われました。
 ほんの数メートル高台になっていたため津波を免れたDホテルの社長様にお話を伺うことができました。地震の後は、部屋のチェックと営業再開をすることで頭がいっぱいで、津波が来ていることを知らなかったそうです。幸い津波はホテルまでは来なかったのですが、近隣はほとんど流されてしまい、その後避難民がホテルに押し寄せて大変だったと言っていました。人道的な見地から70人ぐらい避難民を受け入れたそうなのですが、最初、廊下を解放したところ、なんで部屋を開けないんだと怒られ、冷蔵庫のものやタオルなども勝手に使われたりして不愉快な思いもずいぶんされたようです。4日間は何も届かず、治安もだいぶ悪かったようです。その後、避難民は公設の避難所に移ってもらい、現在は用心のためフロントで寝泊りをされているそうです。なお、営業再開の目途はまだたっていないとのことでした。
 我々もわずかながら支援物資を持ってお邪魔をしたのですが、石巻においてはたいていの物資は行きわたっているようでした。社長のところを辞してから石巻のイオンに寄ってみたのですが、水やカップラーメン、おにぎりなど、全く不自由なく山積みにされており、買い物客も平常のように買い物をされていました。
 今回は石巻への訪問でしたが、このほかに岩手県から茨城県まで何百キロにわたって海岸線は壊滅していると思われます。この復興支援を行うことは、被災を免れた人の使命ではないかと感じました。

■Cホテル復旧支援

 石巻視察を終えた後、再びCホテルに戻り、何かできることを少しでもやろうということで後片付けのお手伝いをさせていただきました。Cホテルの駐車場は、未だ泥だらけの状態でしたのでそれをスコップと一輪車で道路まで運び出しました。慣れない土方仕事でしたが、いったん始めるとなんとかきれいにして帰りたいと目標ができ、現地のスタッフを交え7、8人で初日が2~3時間、二日目は5時間ぐらいかけ、駐車場をなんとかきれいにすることができました。汗と泥まみれでしたが、初顔合わせのメンバーなのに連帯感ができ、ちょっとした達成感を味わうことができました。ほんの少しだけでしたが、被災地支援に参加できて良い経験をさせていただきました。

■ 義援金募集と募金箱設置お願いの件

 レポートに書きました通り、被災地は目を覆うばかりの状況です。家も生活基盤も失われ、再建のめどがたっていらっしゃらない方はたくさんおります。こんな時は、皆で助け合って被災地を支援していきたいと思います。以前にもお願いしました通り、(社)日本自動車旅行ホテル協会では、今回の東日本大震災の義援金をお預かりしております。一人でも多くの方のご協力をお願い申し上げます。また、各店舗様に募金箱の設置につきましても、あわせてご協力をお願い申し上げます。
 先日、役員で使い道について話し合いを行い、集まった義援金と募金は、全額、日本赤十字社に寄付をさせていただくことにいたしました。義援金については、4月末を、募金箱については6月15日を期限とさせていただきます。集まった金額につきましては、後日ご報告させていただきます。また、義援金をいただいた会社様につきましては後日、何らかの形で社名を公開させていただければと考えております。
皆様、被災地の方々へお心を寄せ、厚いご支援をいただきますようよろしくお願い申し上げます。

東日本大震災義援金のお願い